どんなところも住めば都

たまに、前に住んでいた土地に戻りたくなるときがある。

川崎から電車で7分、横浜から電車で8分のところに位置するその場所は、周辺の駅に比べるとなにもない。

マンションから最寄り駅までは徒歩15分。スーパー・ドラッグストアは徒歩20分。一番近いコンビニは徒歩10分。病院は徒歩15分。全てが微妙に遠く、自転車がなければ外に出る気にならなかった。

新卒で入社した会社で東京の店舗に勤務することになり、人生で初めて関東に引っ越した。俗にいう「上京」というやつだ。

夢の東京進出。私は都内に住んでシティーガールになるんだ!と思っていた。

冗談ではなく、本当にそう思っていた。

だが、現実は世知辛い。専門卒の給料では23区内どころか、都内に住むことも難しかった。会社からの家賃手当等もない。

当然、不動産が紹介してきたのは会社まで通勤しやすい東京以外の物件。高まった希望を見事に打ち砕かれた。

その中でも、会社に乗り換えなしで通勤できる物件に決まった。

家賃は管理費込みで5万6千円。一口のIHがついてるが、食材を切るスペースがないミニキッチン。ワンルーム6畳の部屋は今まで住んだ一人暮らしの部屋で一番狭かった。

狭い部屋が快適な空間になるよう、私なりに考えた。

冬は職場の先輩から譲ってもらったこたつで心ゆくまで自堕落な生活をし、夏はエアコンが手狭な空間を一瞬で寒すぎるまで冷やした。

9階から見る夕焼けに癒され、どこから上がっているのか分からない打ち上げ花火をベランダからぼーっと見る。

午前中しか日の当たらないベランダでプチトマトの栽培を試みるが、日光不足で失敗。

コロナ渦で閑散としている川崎のTOHOシネマに人が少ないレイトショーを狙って足繫く通い、雪が積もった日はベランダで雪だるまを作った。

「何でもないようなことが幸せだったと思う」

高橋ジョージが作詞作曲したあの歌の歌詞は、まさにあの部屋で過ごした日々のことだった。

住んでいるときはわからなかった幸せに引っ越してから気づく。

あの土地で過ごした6年は色々なことがあった。

正社員の仕事を1年8ヶ月で辞めて転職したり、数ヵ月しか付き合っていない元恋人がストーカー化してノーアポで家に何度も来たり、コロナ渦でマンション内の騒音が悪化したり(今住んでいるところほどではないが…)、派遣切りにあって仕事探しに途方にくれたり。

スーパーが遠いことや元恋人の意味不明な行動に身の危険を感じ、何度も引っ越しを考えた。何なら気になったマンションの内見に行ったこともある。

でも当時は金銭的な面で引っ越しに踏み切れなかった。だから友人には「私から3日連絡がなかったら死んだと思ってくれ」と伝えていた。親譲りの男運のなさに頭を抱えた。

この6年で分かったことは、首都圏はわざわざ都内に行かなくても周辺の県でいろんなものが事足りるということだ。

また関東に戻ってくることがあったとしても、住んでみたいところはたくさんあるが、おそらく都内には住まないと思う。

ゴミゴミしたところより、静かで自然を少しでも感じられるところがいい。

“都市部”よりもその“周辺”の方が、私には合っているのかもしれない。